武田良太(たけだ・りょうた)氏は、福岡11区を地盤とする自由民主党の衆議院議員です。総務大臣や国家公安委員長、防衛副大臣などを経験し、旧二階派では事務総長を務めました。
2024年の衆院選では議席を失いましたが、2026年2月の衆院選で国政へ復帰。現在は新たな政策グループ「総合安全保障研究会」を率いるなど、党内で再び活動を活発化させています。
この記事では、2024年に落選した理由、麻生太郎氏との関係、現在の派閥・政策・実績を中心に、経歴や学歴、妻・再婚に関する情報まで整理します。
- 自由民主党の衆議院議員・福岡11区選出
- 1968年4月1日生まれ、福岡県田川郡福智町出身
- 総務大臣、国家公安委員長、防衛副大臣などを歴任
- 旧二階派の事務総長を務めた
- 2024年衆院選で落選し、2026年衆院選で8回目の当選
- 2026年に「総合安全保障研究会」を立ち上げ会長に就任
- 日韓議員連盟会長なども務めている
武田良太のプロフィール|現在は福岡11区選出の衆議院議員
| 名前 | 武田 良太(たけだ りょうた) |
|---|---|
| 生年月日 | 1968年4月1日 |
| 出身地 | 福岡県田川郡福智町(旧赤池町) |
| 所属政党 | 自由民主党 |
| 議員種別 | 衆議院議員 |
| 選挙区 | 福岡県第11区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 初当選 | 2003年 |
| 最終学歴 | 早稲田大学大学院公共経営研究科修了 |
| 前職 | 衆議院議員・亀井静香氏秘書 |
| 主な閣僚歴 | 総務大臣、国家公安委員長、防災担当大臣など |
| 公式サイト | 武田良太公式サイト |
| 公式X | @troffice_0401 |
衆議院の議員プロフィールでは、早稲田大学文学部英文学専修を卒業し、のちに早稲田大学大学院で公共経営修士を取得した経歴が掲載されています。現在の所属や当選回数は、衆議院の議員情報と自由民主党公式プロフィールでも確認できます。
武田良太の現在|2026年に国政復帰し党内活動も再始動
2026年9月現在、武田良太氏は現職の衆議院議員です。2024年の衆院選で落選したため「元議員」と記載された古いページも残っていますが、2026年2月8日の第51回衆院選で福岡11区を制し、国会へ戻りました。
現在は国会議員としてだけでなく、党内外の複数の組織で役職を担っています。本人公式プロフィールに掲載されている2026年の主な役職は次の通りです。
- 自民党「郵政事業に関する特命委員会」委員長
- 日韓議員連盟会長
- 国会ラグビークラブ会長
- 自民党「防衛施設問題に関する議員連盟」会長
- 超党派サウナ振興議員連盟会長
- 総合安全保障研究会会長
2026年9月2日には、武田氏が率いる総合安全保障研究会が国会内で勉強会を開催しました。9月5日のテレビ朝日報道によると、グループは旧二階派の議員を中心に約20人。武田氏は現在の政権との関係について、次のように述べています。
「わが自由民主党が、しっかりと結束を図って、高市内閣を支えていく」
出典:テレビ朝日・2026年9月5日報道
少なくとも2026年9月時点の武田氏は、高市内閣を支える立場を明確にしています。「反高市」と単純に位置付けると、現在の本人発言や行動とは合いません。
本人のXでも、政治活動やメディア出演などを継続的に発信しています。
武田良太が2024年に落選した理由は?2026年の再戦で8選
武田氏の政治経歴で大きな転機となったのが、2024年10月の第50回衆議院議員総選挙です。
福岡11区では、日本維新の会新人だった村上智信氏が5万8842票を獲得。武田氏は5万6607票で、差はわずか2235票でした。
| 2024年・福岡11区 | 政党 | 得票 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 村上智信 | 日本維新の会 | 58,842 | 当選 |
| 武田良太 | 自由民主党 | 56,607 | 落選 |
| 志岐玲子 | 社会民主党 | 15,297 | 落選 |
ここで誤解しやすいのが、自民党の公認です。武田氏は2024年衆院選で「非公認」だったわけではありません。自民党公認候補として出馬しましたが、政治資金収支報告書の不記載問題を受けて比例代表との重複立候補が認められず、小選挙区一本で戦いました。
落選には政治資金問題だけでなく複数の要因が重なった
旧二階派から受けた寄付金1926万円を政治資金収支報告書に記載していなかったとして、武田氏は2024年4月に自民党から「党の役職停止1年」の処分を受けています。本人は不記載を認める一方、自らが不記載の仕組みに関与したことは否定しました。
地元のRKB毎日放送は選挙後、武田氏の落選を検証した特集を掲載。政治資金問題への説明のあり方に加え、旧統一教会関連団体との関係をめぐる説明、地元政界をめぐる問題など、複数の要素を挙げています。
- 派閥の政治資金不記載問題で党処分を受けていた
- 比例代表との重複立候補が認められなかった
- 政治資金問題などへの説明姿勢が地元で批判された
- 対抗馬が「政治とカネ」を争点の一つとして訴えた
- 最終的な得票差は2235票という接戦だった
落選後、武田氏は自身に責任があるとして謝罪しました。
「原因は全て私にある。本当に申し訳なく思っている」
出典:共同通信配信・千葉日報
2026年衆院選では6万2419票で国政復帰
再戦となった2026年2月の衆院選では結果が逆転します。
| 2026年・福岡11区 | 政党 | 得票 |
|---|---|---|
| 武田良太 | 自由民主党 | 62,419 |
| 村上智信 | 日本維新の会 | 43,002 |
| 辻智之 | 中道 | 19,011 |
| 井上直生 | 参政党 | 10,070 |
| 志岐玲子 | 社会民主党 | 5,187 |
テレビ西日本が報じた開票結果では、武田氏が6万2419票で当選。村上氏は比例代表で復活当選しました。武田氏にとっては通算8回目の当選です。
選挙戦では高市早苗氏も福岡11区へ応援に入りました。武田氏の公式Xでは、行橋での応援演説を告知しています。
「比例は中道」は何だったのか
2026年の選挙では、自民党と公明党の従来の協力関係が崩れたなかで、福岡11区の現場レベルに残る人的関係も話題になりました。
AERA DIGITALは選挙期間中、武田氏の集会に公明党の市議が応援に入り、「比例は中道」とする要請もあったと報じています。これは自民党全体の選挙方針というより、長年の自公協力で築かれた地元組織の関係が残っていた事例として報じられたものです。
したがって、「武田氏自身が自民党ではなく中道への比例投票を公式方針として掲げた」とまで広げて断定するのは避ける必要があります。
武田良太と麻生太郎はなぜ「不仲」と言われるのか
武田氏をめぐって長年語られてきたのが、同じ福岡県選出の麻生太郎氏との関係です。
「不仲」という印象が強くなった象徴的な出来事は2021年3月でした。当時財務大臣だった麻生氏は、総務大臣だった武田氏の国会答弁について問われた際、「あまり仲が良くないので黙っていた」と発言しています。
この発言だけでなく、両氏の間には以前から福岡県内の党運営をめぐる政治的な距離がありました。武田氏が自民党福岡県連会長を務めていた時期には、2011年の福岡県知事選や2012年衆院選の福岡1区候補者選びなどで、武田氏側の県連と麻生氏の意向が一致しなかったケースが報じられています。
2026年4月、テレビ西日本から「麻生氏とライバル関係に見える」と直接質問された武田氏は、次のように答えました。
「僕は麻生さんと30歳違うんですよ。親子ほど違う。」
出典:FNNプライムオンライン・テレビ西日本
続けて武田氏は、麻生氏には麻生氏の考えがあり、自分は自分の考えで政治をすればいいという趣旨を語っています。本人は少なくとも、個人的な対立として語ることを避けています。
- 福岡県政や候補者調整をめぐって異なる立場を取った時期がある
- 2021年には麻生氏自身が「あまり仲が良くない」と国会で発言した
- 武田氏は2026年のインタビューで、個人的な対立という見方から距離を置いた
- 現在は両氏とも高市政権を支える方向で活動する場面がある
実際、2026年5月には武田氏のグループ全員が高市政権を支える「国力研究会」に参加しました。本人の公式Xにも、その方針が投稿されています。
政治的な距離や過去の競合があったことと、現在すべての政策で対立していることは同じではありません。麻生氏との関係は、単純な「好き・嫌い」よりも、福岡の党内政治やそれぞれの人脈を背景に見た方が実態に近いものです。
武田良太の派閥は?二階派から「総合安全保障研究会」へ
武田氏は長く二階俊博氏が率いた志帥会(二階派)に所属し、事務総長を務めました。2024年の政治資金問題では、派閥の中枢にいた人物の一人として説明を求められる立場にもなりました。
二階派の解散後、武田氏が新たに立ち上げたのが「総合安全保障研究会」です。2026年4月の初会合には旧二階派を中心とする国会議員22人が参加しました。
「武田派の誕生ではないか」と報道される一方、武田氏自身は従来型の派閥とは違う組織だと説明しています。
「昭和から引きずった今までの派閥の形態とは全く違う」
出典:FNNプライムオンライン・テレビ西日本
研究会では外交・防衛だけでなく、経済安全保障、食料・エネルギー安全保障、国土強靱化などを扱います。政治団体として届け出る従来型派閥ではなく、政策研究を軸とする考えを武田氏は示しています。
メディアでは「武田グループ」「事実上の武田派」と表現されることがありますが、正式名称は総合安全保障研究会です。2026年9月時点では約20人規模で活動しています。
研究会では個別の安全保障問題も扱っており、本人のXでも会合の様子を発信しています。
武田良太の経歴・学歴|亀井静香秘書から総務大臣まで
武田氏は福岡県田川郡赤池町、現在の福智町で生まれました。明治学園中学校、福岡県立小倉高校を経て、早稲田大学文学部へ進学しています。
大学卒業後の1992年、衆議院議員だった亀井静香氏の秘書になったことが政治家を志す直接のきっかけでした。
翌1993年に国政選挙へ初挑戦。その後も選挙に挑み続けましたが、初当選までには10年を要しています。本人は当時を次のように振り返っています。
「苦労したというよりも、楽しかったなという思いの方が強いですね」
出典:学生新聞オンライン・武田良太インタビュー
同インタビューでは、10年間で3回落選したものの、選挙のたびに支持者が増えていく手応えがあったとも語っています。
| 時期 | 主な経歴 |
|---|---|
| 1992年 | 早稲田大学卒業、亀井静香衆議院議員の秘書となる |
| 1993年 | 衆院選へ初出馬 |
| 2003年 | 福岡11区で初当選 |
| 2008年 | 防衛大臣政務官 |
| 2009年 | 早稲田大学大学院公共経営研究科修了 |
| 2012年 | 衆議院安全保障委員長 |
| 2013年 | 防衛副大臣 |
| 2019年 | 国家公安委員長、防災・行政改革などの担当大臣として初入閣 |
| 2020年 | 総務大臣 |
| 2024年 | 第50回衆院選で落選 |
| 2026年 | 第51回衆院選で国政復帰、通算8選 |
2003年の初当選時と、郵政民営化が争点となった2005年の衆院選では、いずれも無所属で勝ち上がった時期があります。その後は自民党で安全保障分野を中心に役職を重ね、閣僚へ進みました。
選挙で3回敗れた後に初当選し、閣僚を経験した後にも一度落選し、再び国政へ戻ったという経歴は、武田氏の政治人生を特徴付けています。
武田良太は何をしてきた?政策と主な実績
現在掲げている主な政策
武田良太氏の公式政策ページでは、物価高への対応から地方経済、安全保障まで幅広い政策を掲げています。
- 物価高対策による家計負担の軽減
- 田川・京築・豊築地域の産業、農林水産業、中小企業への支援
- 子育て、医療・介護、住宅政策の充実
- 鉄道・BRT・デマンド交通など地域交通の維持
- 観光振興や移住・定住の促進
- 防災・減災、インフラ整備、国土強靱化
- 平和と安全を守るための外交・安全保障政策
地方選出議員として地域交通や農林水産業を扱う一方、防衛副大臣や国家公安委員長を経験してきたこともあり、安全保障政策は現在の政治活動でも大きな比重を占めています。
総務大臣などとして関わった主な取り組み
「政策として掲げていること」と「実際の仕事」は分けて見る必要があります。本人公式サイトの「主な取り組みと成果」では、閣僚時代などの仕事として次のテーマを挙げています。
- 携帯電話料金の引き下げと競争促進に向けた施策
- NHK改革と受信料引き下げに向けた制度整備
- 防災・減災、国土強靱化に関する5か年対策
- 消防団員の処遇改善
- 新型コロナワクチン接種をめぐる自治体支援
携帯料金については菅政権全体の重要政策として進められたもので、当時の総務大臣だった武田氏は、通信各社の競争促進や料金プランの見直しを担当する立場にありました。NHK改革なども同様に、政府・国会・関係機関による制度変更の中で担当大臣として関与したものです。
日韓議員連盟会長として議員外交にも取り組む
2026年3月には、菅義偉氏の後任として日韓議員連盟会長に就任しました。政府間外交だけでは扱いにくい課題を議員外交でも補う考えを示しています。
同年6月には韓国の李在明大統領とも面会。公式Xでは、日韓関係についての意見交換を発信しました。
「韓国寄り」「親韓」といった単純なラベルではなく、現在は日韓議員連盟の会長という立場で、日韓の議員間外交を担当しているという事実から見るのが分かりやすいでしょう。
政治資金問題では何があった?1926万円の不記載と党処分
武田氏をめぐる近年最大の政治的な問題が、旧二階派の政治資金問題です。
自民党が2024年4月に発表した処分で、武田氏は5年間で旧二階派から受けた寄付金1926万円を政治資金収支報告書に記載していなかったとして、党の役職停止1年となりました。RKB毎日放送も処分内容と不記載額を報じています。
衆議院政治倫理審査会では、二階派で行われていた還付の仕組みについて、自身や二階俊博氏が決定していたのではないかとの質問に対し、武田氏は関与を否定しました。
「私や二階会長が(還付)ルールやノルマを決めたりすることは全くしていない」
出典:テレビ朝日・衆議院政治倫理審査会報道
「1926万円の不記載があったこと」と、「武田氏自身が還付ルールを作ったと認めていること」は別です。前者については訂正・党処分が行われ、後者について本人は否定しています。
総務大臣時代には接待問題でも国会答弁
総務大臣だった2021年には、総務省幹部が放送関連事業者から接待を受けていた問題が表面化しました。総務省は関係職員を処分し、武田氏は監督責任を踏まえ大臣給与3か月分を自主返納しています。
武田氏自身についても、NTT側との会食が国会で追及されました。武田氏は2020年11月の会食への出席を認め、会費として1万円を支払ったことや、事前には同席者を把握していなかったと説明しています。
東北新社の衛星放送事業をめぐっては、外資規制違反が判明し、総務省が認定を取り消しました。これらは武田氏本人への政治資金問題とは別の、総務行政をめぐる問題として区別しておく必要があります。
武田良太の妻(奥さん)の死因は?再婚・家族について分かっていること
武田氏の家族については、公的な政治プロフィールで詳しく紹介されていません。そのため、ネット上の情報には根拠をたどれないものも混在しています。
- 妻は武田聡子さん
- 聡子さんは2007年8月31日に35歳で亡くなったと記録されている
- 死因は信頼できる一次資料で裏付けられないため断定しない
- 2026年9月現在、再婚の有無を本人が公表した公式資料は見当たらない
- 母方の伯父に、元自民党幹事長の田中六助氏がいる
妻・聡子さんは2007年に35歳で死去
人物訃報データベース「まいり」には、武田聡子さんが「武田良太自民党衆院議員の妻」として掲載され、2007年8月31日に35歳で亡くなったと記録されています。
一方、死因についてはネット上の記事で異なる記述が見られます。本人公式サイト、公的プロフィール、主要報道など、現在確認できる信頼性の高い一次資料から死因を特定できないため、本記事では断定しません。
再婚したという公式発表は確認できない
再婚についても、武田氏の公式プロフィール、衆議院、自民党のプロフィールには現在の配偶者に関する記載がありません。
これは「再婚していない」と証明するものではありません。公表されていない私生活について推測せず、2026年9月時点では再婚を裏付ける公式情報は確認できないという範囲にとどめるのが適切です。
母方の伯父は元自民党幹事長・田中六助
武田氏は政治家との縁がまったくない家庭から政界へ入ったわけではありません。母方の伯父に、自民党幹事長や通商産業大臣などを務めた田中六助氏がいます。
学生新聞のインタビューでも、武田氏自身が「叔父が政治家ということもあって、政治の世界には興味がありました」と話しています。ただし、実際に政治家を目指す覚悟を決めた契機として本人が挙げたのは、亀井静香氏の秘書になった経験でした。
若い頃と人物像|8歳からラグビー、趣味は絵画や音楽
政治以外で武田氏を語る際、外せないのがラグビーです。
自民党が2026年7月に掲載した人物記事によると、武田氏は活発な子供だったことから両親に勧められ、8歳でラグビーを始めました。13歳のころにはクラブ選抜でオーストラリア遠征も経験しています。
国会議員となった現在もラグビーとの関係は続いており、2026年には国会ラグビークラブ会長に就任。2035年ラグビーワールドカップの日本招致にも取り組んでいます。
就任時の様子は本人の公式Xでも発信されました。
本人公式サイトでは、趣味として絵画、書道、ゴルフ、音楽を挙げ、座右の銘は「正気堂々」としています。
2025年には音声番組「武田良太 Try Again」にも出演し、政治の話だけでなく音楽などについて語る機会を持っていました。若い頃の選挙生活についても、落選を「苦労」だけで捉えず、支持者が増えていく過程を楽しんでいたと振り返っているのが印象的です。
武田良太の選挙区と事務所|福岡11区はどこ?
武田氏の選挙区は衆議院・福岡県第11区です。自民党福岡県連によると、現在の区域は次の自治体で構成されています。
田川市、行橋市、豊前市、田川郡、京都郡、築上郡
田川地域から京築・豊築地域までを含む福岡県東部の選挙区で、武田氏自身も田川郡の出身です。
公式に公開されている事務所
本人公式サイトでは、国会事務所のほか、田川・行橋・豊前に事務所を公開しています。
| 事務所 | 所在地・電話 |
|---|---|
| 国会事務所 | 東京都千代田区永田町2-2-1 衆議院第一議員会館1101号室 TEL:03-3508-7618 |
| 田川事務所 | 福岡県田川市大字弓削田3513-1 TEL:0947-46-0224 |
| 行橋事務所 | 福岡県行橋市西宮市4-1-1 TEL:0930-24-3005 |
| 豊前事務所 | 福岡県豊前市八屋1892-2 松井ビル2階 TEL:0979-82-1890 |
所在地・電話番号は武田良太公式サイトで一般向けに公開されている政治活動上の連絡先です。
2026年9月の武田良太|「反高市」ではなく政権を支える姿勢
2026年に国政復帰してからの武田氏は、かつての二階派人脈を軸に議員をまとめながら、総合安全保障研究会を定期的に開催しています。
新グループの存在から「派閥復活」「高市政権への対抗勢力」と見る報道も出ましたが、本人は4月のインタビューで高市氏とは「政策的価値観が合う部分もある」と説明。5月にはグループ全員で高市氏を支える国力研究会に参加し、9月の会合でも高市内閣を支える方針を明言しました。
2024年の落選で一度途切れた政治キャリアは、2026年の8選で再び動き始めています。現在は福岡11区の地元活動に加え、安全保障政策、郵政政策、日韓議員外交、党内の政策グループ運営が主要な活動分野となっています。

