石平(せき・へい)氏は、中国・四川省成都出身の評論家から国政へ転じた、日本維新の会所属の参議院議員です。中国の政治・社会を論じる評論活動で知られてきましたが、2025年の参議院選挙で初当選し、現在は国会で外交・安全保障などに関わっています。
一方で、「台湾とどのような関係があるのか」「いつ日本へ帰化したのか」「妻や子供はいるのか」「石平太郎とは別人なのか」といった点は、経歴だけを見ても分かりにくい部分です。ここでは、国会・政党・本人発信・選挙資料などをもとに、石平氏の現在までを整理します。
石平議員は現在何をしている?参議院で外交・安全保障を担当
2026年9月時点の石平氏は、日本維新の会の参議院議員です。2025年の第27回参議院議員通常選挙で全国比例から初当選しました。
| 名前 | 石平(せき へい) |
|---|---|
| 生年月日 | 1962年1月30日 |
| 出身地 | 中国・四川省成都市 |
| 所属政党 | 日本維新の会 |
| 議員 | 参議院議員 |
| 選出 | 比例代表(全国比例) |
| 当選回数 | 1回 |
| 初当選 | 2025年 |
| 現在の主な役職 | 参議院 外交防衛委員会理事など |
| 前職 | 評論家 |
| 公式サイト | 石平公式サイト |
| 公式X | @liyonyon |
参議院の議員プロフィールでは、外交防衛委員会理事のほか、沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会、国際問題に関する調査会への所属が掲載されています。
評論家から政治へ進んだ理由について、2026年のインタビューでは、自身が長年論じてきた中国問題を国政の内側から扱う意向を語っています。
「政治の中に入り、対中国外交や日本の防衛政策に直接関わっていきたい。」
出典:政治家ドットコム・石平氏インタビュー
石平氏の所属は日本維新の会です。日本保守党所属ではありません。また、参議院では特定の都道府県選挙区ではなく、全国を対象とする比例代表で選出されています。
2025年参院選でどう当選?選挙区は奈良ではなく全国比例
石平氏が国会議員になったのは2025年の参院選です。選挙区は奈良県ではなく、全国比例でした。
| 時期 | 動き |
|---|---|
| 2025年2月 | 日本維新の会から参院選比例代表への立候補を表明 |
| 2025年3月 | いったん立候補を辞退 |
| 2025年6月 | 日本維新の会から再び比例代表候補として出馬 |
| 2025年7月 | 第27回参議院議員通常選挙で初当選 |
- 日本維新の会の比例代表候補として出馬
- 個人名得票は47,939.215票
- 日本維新の会の比例候補13人中4番目
- 同党が獲得した比例4議席の一つに入り初当選
比例代表では候補者名の按分票が生じるため、公式得票には小数点以下が含まれています。数字は参議院比例代表選挙の公式開票資料に基づきます。
なぜ日本維新の会から出馬した?
石平氏は出馬表明時、日本維新の会を選んだ理由の一つとして、当時の吉村洋文代表の安全保障や中国に対する認識を挙げています。
「吉村代表の国家観、国防観、対中認識に共鳴を覚えた」
出典:産経新聞・石平氏インタビュー
3月には、出馬表明後に寄せられた誹謗中傷や家族への影響などを理由にいったん辞退しました。その後、自ら再公認を求め、6月24日に出馬を改めて発表しています。再出馬の際には公式Xでも政策と決意を発信しました。
中国出身から日本国籍へ|北京大学・神戸大学と天安門事件
石平氏は1962年、中国四川省成都市で生まれました。中国で大学まで学んだ後に日本へ留学し、評論家として活動するようになります。
| 年 | 経歴 |
|---|---|
| 1962年 | 中国・四川省成都市に生まれる |
| 1984年 | 北京大学哲学系を卒業 |
| 1988年 | 日本へ留学 |
| 1991年 | 神戸大学大学院修士課程を修了 |
| 1995年 | 神戸大学大学院博士課程を単位取得後退学 |
| 1995~2001年 | 民間研究機関などで研究活動 |
| 2002年以降 | 評論家として中国政治・日中関係などを論じる |
| 2007年 | 日本国籍を取得 |
大学時代には中国の民主化運動に関わりました。石平氏がその後の人生を語る際に大きな転機として挙げているのが、1989年6月の天安門事件です。
「天安門事件の夜、祖国・中国との訣別です。」
出典:覚悟の瞬間・石平氏インタビュー
来日後は神戸大学大学院で学び、研究活動を経て評論家へ転身しました。2009年から2025年3月まで産経新聞で「石平のChina Watch」を連載するなど、中国共産党、中国経済、日中関係を中心に発信を続けています。参議院プロフィールでは、単著・共著・対談本など200冊以上を刊行したと紹介されています。
日本国籍を取得したのは2007年です。したがって、2025年の国政選挙には日本国民として立候補し、参議院議員に当選しています。
「石平太郎」と「北埜陽」は何が違う?
石平氏について調べると「石平太郎」という名前も見かけます。これは以前、本人がXなどで使用していた表示名として知られる呼称で、現在の政治活動では「石平」を使用しています。
参議院の議員名簿では、通称名として「石平」、本名として「北埜陽」が併記されています。「石平太郎」が現在の戸籍上の本名というわけではありません。
石平の妻・子供は?家族について公表されていること
- 妻は日本人女性
- 2012年1月に第一子が誕生
- 本人の著書では第一子を男性として記しており、息子であることが分かる
- 妻の氏名や職業など、一般人としての詳細は広く公表されていない
家族について一次情報として分かりやすいのが、PHP研究所から2012年に刊行された著書『中国人の正体』です。PHP研究所の書籍紹介には、日本人女性と結婚したことと、2012年1月に第一子が誕生したことが記されています。
公に確認できる子供としては、2012年1月生まれの長男がいます。一方、妻や子供は政治家本人とは異なる私人であり、氏名・勤務先・学校などについて信頼できる公表情報がないものまで推測することはできません。
石平と台湾の関係は?2026年9月には超党派議員団で訪台
石平氏は台湾出身ではありません。出生地は中国四川省成都です。「台湾」との結び付きが大きいのは、現在の政治・安全保障活動にあります。
| 時期 | 台湾をめぐる主な活動 |
|---|---|
| 2026年1月 | 台湾を訪問し、安全保障に関するシンポジウムなどに参加 |
| 2026年6月 | 超党派「台湾海峡の平和と安定を考える国会議員の会」の設立に参加し、事務局長を務める |
| 2026年9月 | 同議員団で台湾を訪問。頼清徳総統らと面会 |
2026年1月の訪台時には、台湾に到着したことを本人のXでも報告しています。中国政府が主張する台湾の位置付けに対し、石平氏自身の見解を示した投稿です。
6月には「台湾海峡の平和と安定を考える国会議員の会」が発足しました。本人公式サイトによると、台湾海峡での武力衝突の回避、政策研究、台湾側との交流などを目的としています。
石平氏はこの議員会で事務局長を務め、発足について公式Xでも発信しました。
さらに2026年9月8日には、超党派議員団の一員として台湾総統府を訪問しました。台湾総統府の発表には、頼清徳総統と面会した日本の国会議員として石平氏の名前も掲載されています。
翌9日には台北で開かれた外交・安全保障に関するシンポジウムにも参加しました。石平氏は、日本と台湾を取り巻く中国の軍事活動への警戒を示し、防衛面での連携を強めるべきだという自身の立場を述べています。
中国政府はなぜ石平氏を制裁?資産凍結・取引禁止・入境禁止
石平氏と中国との関係で大きな出来事となったのが、中国政府が2025年9月8日に発表した制裁です。
中国外交部の発表は、石平氏による台湾、尖閣諸島、中国の歴史認識、新疆・チベット・香港、靖国神社などをめぐる発言や活動を中国政府の立場に反するものだとして、制裁理由に挙げました。これはあくまで中国政府側が示した制裁理由です。
- 中国国内にある動産・不動産などの資産凍結
- 中国国内の組織・個人との取引や協力の禁止
- 本人と直系家族に対する査証発給・中国本土、香港、マカオへの入境禁止
日本政府はこの措置に抗議しました。当時の林芳正官房長官は、異なる見解を理由に一方的措置を取ることは受け入れられないとして、中国側に撤回を求めています。
「資産凍結」と聞くと、中国に多額の資産を持っていたのかも気になるところですが、石平氏本人は中国に保有資産はない旨を公表しています。制裁発表を受けた本人の反応は、公式Xにも残っています。
制裁で示された「資産凍結」は制度上の措置であり、石平氏が中国に資産を保有していることを示すものではありません。
石平の政策は?国防・対中外交・スパイ防止法が柱
石平氏が公式サイトで掲げている政策は、中国情勢についての評論活動と連続性が強く、国防・外交・外国勢力への対応を大きな柱にしています。
| 分野 | 本人が掲げる主な政策 |
|---|---|
| 国防 | 憲法改正、自衛隊の位置付けの変更、緊急事態条項、国防予算の拡充、核シェアリングの検討 |
| 外交 | 国会での中国問題を扱う体制整備、対中外交の見直し、中国の情報発信への対処 |
| 法制度 | スパイ防止法の制定、帰化申請の審査厳格化、外国籍の非居住者による土地・不動産購入規制、入国審査の厳格化 |
ここで挙げた内容は、石平氏が実現を目指して掲げている政策です。成立済みの法律や、本人が単独で実現した実績という意味ではありません。
当選後に国会で何をしている?
当選後は、政策を掲げるだけでなく委員会質疑や提言にも参加しています。
- 2026年5月22日:参議院の沖縄・北方問題及び地方に関する特別委員会で地方分権などについて質問
- 2026年7月3日:日本維新の会の外交部門メンバーと「ODAの活用に関する提言」を外務副大臣へ提出
- 2026年7月16日:参議院外交防衛委員会で、中国の民族団結促進法の域外適用や台湾で起きた日本人への暴行事件などについて質問
ODAについては、中国への過去のODAを安全保障上の教訓として検証し、今後は日本の外交目標との関係を明確にすべきだという立場を示しました。
「ODAは、わが国の国益と国際社会の平和と安定に資する重要な外交手段です。」
出典:石平公式サイト「ODAの活用に関する提言」
7月16日の外交防衛委員会での活動についても、本人公式サイトで質疑内容が公開されています。
帰化した石平氏が「帰化審査の厳格化」を掲げる理由
石平氏自身が中国から日本へ帰化した経歴を持つ一方、現在は帰化申請基準と審査の厳格化を政策に掲げています。
本人の政策は「帰化制度をなくす」というものではなく、国政や安全保障に外国勢力が影響することへの警戒を背景に、帰化時の審査や制度運用を厳格化するという主張です。国政選挙の候補者について帰化歴などの情報公開を求める考えも示しています。
石平氏は2007年に日本国籍を取得し、その約18年後に国政選挙へ立候補しました。現在掲げるのは、帰化制度そのものの否定ではなく、申請基準・審査・情報公開をより厳しくする方向の政策です。
石平議員の評判・批判は何をめぐっている?
石平氏をめぐって公的資料や報道から把握できるのは、選挙で示された得票と、出馬・帰化・中国や台湾をめぐる政策について起きている具体的な議論です。
参院選では維新の比例候補4番手で議席を獲得
2025年参院選では47,939.215票を得て、日本維新の会の比例候補で4番目となり議席を獲得しました。これは選挙結果として確認できる支持の規模ですが、投票した有権者がどの政策や経歴を理由に選んだのかまで、この数字だけで判断することはできません。
最初の出馬表明では「帰化一世」の立候補も議論に
2025年2月の出馬表明後には、石平氏の中国出身・帰化という経歴をめぐる反応も広がりました。3月にいったん出馬を辞退した際、石平氏はネット上の誹謗中傷や家族への影響を理由に挙げる一方、帰化一世の人物が国政へ進むことについて慎重な意見そのものまで誹謗中傷と同一視してはいません。
その後は考えを改め、6月に再出馬。7月の選挙で当選しています。
対中・台湾政策は中国政府との対立点になっている
中国政府は石平氏の台湾、尖閣諸島、歴史認識などに関する発言を批判し、2025年には制裁まで発動しました。石平氏はそれによって従来の政策姿勢を変更せず、国会入り後も台湾海峡や中国政策を主要な活動分野としています。
石平氏をめぐる評価は、中国への警戒を重視する安全保障観、本人の帰化経験、帰化制度の厳格化を求める現在の政策などを中心に意見が分かれています。
石平の著書・趣味|評論家時代には200冊以上を刊行
政治や中国問題の発言で知られる石平氏ですが、本人へのインタビューでは、読書や写真撮影、登山、旅行なども趣味として挙げています。
- 読書:本人インタビューでは1週間に3~4冊ほど読むと回答
- 写真:カメラ・写真撮影を趣味として公表
- 登山・旅行:自然や各地を巡ることも趣味
- 幼少期:祖父から『論語』を書き写す勉強を課された経験を語っている
著書には、山本七平賞を受賞した『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』のほか、『王道日本史』『帰化人問題』『なぜ中国は日本に憧れ続けているのか』などがあります。
国会議員になるまで約20年以上にわたり、中国政治・中国経済・日中関係を主要テーマに執筆やテレビ出演を続けました。現在の安全保障・対中政策は、この評論家時代から扱ってきたテーマとつながっています。
写真については、公式Xにも本人が撮影した風景を掲載しています。2025年春には靖国神社で咲き始めた桜を撮影した写真を投稿しました。

