石井啓一の現在は衆議院副議長|2024年落選理由と国政復帰、家族・経歴も解説

石井啓一

2024年の衆議院選挙で議席を失って以降、石井啓一氏の政治的な立場は大きく動きました。2026年には国政へ復帰し、現在は衆議院副議長を務めています。所属政党についても、2026年1月の中道改革連合参加を経て、同年9月に公明党へ復党しました。

ここでは、現在の役職と所属、2024年に埼玉14区で落選した経緯、2026年の国政復帰を軸に、家族・学歴・旧建設省時代、国土交通大臣として取り組んだ仕事、政策や本人の発言まで整理します。

石井啓一氏の現在を簡単に見ると
  • 現在の役職:第70代衆議院副議長
  • 所属政党:公明党(2026年9月復党)
  • 衆議院での表記:比例北関東選出・無所属
  • 当選回数:11回
  • 直近の当選:2026年衆院選・比例北関東
  • 前職:旧建設省官僚
項目内容
名前石井啓一(いしい けいいち)
生年月日1958年3月20日
年齢68歳(2026年9月時点)
出身地東京都豊島区
現在の役職第70代衆議院副議長
所属政党公明党
選出比例代表・北関東ブロック
当選回数11回
学歴早稲田中学校・早稲田高校、東京大学工学部土木工学科
前職旧建設省職員(道路局課長補佐まで)
家族妻・長男
主な役職歴財務副大臣、国土交通大臣、公明党政務調査会長・幹事長・代表など
公式サイト石井啓一公式サイト
公式X@keiichi_ishii_
目次

石井啓一の現在は?第70代衆議院副議長

石井啓一氏は、2026年2月18日に開かれた第221回国会の衆議院本会議で、第70代衆議院副議長に就任しました。衆議院の公式プロフィールでも「衆議院副議長」と掲載され、比例代表北関東ブロック選出、当選11回となっています。詳しくは衆議院「第221回国会(特別会)」と衆議院の石井啓一氏プロフィールで確認できます。

政治家としての所属は、2026年9月24日に公明党への復党が承認されています。公明党は、中道改革連合を離党した公明党出身の衆議院議員28人全員の復党を発表し、その中に石井氏も含めています。

一方、衆議院の議員プロフィールには「無所属」と記載されています。公明党が同時期に発表した衆議院の統一会派「中道」には、公明党所属議員のうち石井氏を除く27人が参加しています。党籍と衆議院での所属表記が同じではない点には注意が必要です。最新の党籍については公明党の2026年9月27日発表が基準になります。

時期主な動き
2024年9月公明党代表に就任
2024年10月衆院選・埼玉14区で落選
2024年11月公明党代表を退任
2026年1月中道改革連合に参加
2026年2月比例北関東で当選し国政復帰
2026年2月18日第70代衆議院副議長に就任
2026年9月公明党へ復党

2026年衆院選で比例北関東から国政復帰

2026年2月の衆議院選挙では、当時所属していた中道改革連合から比例北関東ブロックに立候補し当選しました。これが11回目の当選です。

選挙後、本人は公式Xで当選への受け止めと当時の政治姿勢を発信しています。

なお、石井氏の公式サイトには2026年1月に参加した中道改革連合の記載が残っているページもありますが、2026年9月時点の最新の所属政党は公明党です。

 

石井啓一はなぜ2024年に落選した?埼玉14区の結果

石井氏の政治経歴の中でも大きな転換点になったのが、2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙です。公明党代表に就任した直後でしたが、埼玉14区で国民民主党の鈴木義弘氏に敗れました。

候補者政党得票数
鈴木義弘国民民主党70,608票
石井啓一公明党60,249票
加来武宜日本維新の会28,792票
苗村京子日本共産党17,981票
関根和也無所属7,486票
高橋易資諸派5,514票
出典:2024年衆院選・埼玉14区開票結果

得票差は10,359票でした。埼玉14区は2022年の区割り改定後、草加市・八潮市・三郷市で構成されています。石井氏自身も草加市在住です。選挙区の区域は埼玉県選挙管理委員会の区割り資料に掲載されています。

比例復活しなかった理由は重複立候補をしなかったため

石井氏はそれまで比例北関東で当選を重ねてきましたが、2024年は比例代表と重複せず、埼玉14区の小選挙区一本で立候補しました。

公明党代表就任直後の記者会見では、重複立候補をしない考えについて次のように述べています。

「代表が重複を決めると士気が下がる。小選挙区一本でやる気持ちだ」

出典:時事通信映像センター・石井啓一代表就任会見

そのため、埼玉14区で2位となった時点で比例復活の可能性もありませんでした。

落選は一つの理由だけでは説明できない

2024年の敗因を一つだけに絞るのは難しく、少なくとも選挙結果からは複数の要素を分けて見る必要があります。

  • 石井氏にとって初めての小選挙区での本格的な選挙だった
  • 比例代表との重複立候補をせず、比例復活の道を自ら設けなかった
  • 国民民主党の鈴木義弘氏が70,608票を獲得し、石井氏を1万票以上上回った
  • 選挙全体では政治資金問題などを背景に自公両党に逆風があり、日テレNEWSも石井氏について「自公逆風の中、苦戦」と報じた

公明党代表だった石井氏は選挙後、党全体の結果について自ら責任を引き受け、代表辞任を表明しました。

「全て党代表である私の責任だ」

出典:公明党「党再建へ体制 速やかに」

代表を退く理由については、党代表には国会論戦で党の考えを示し、国会の動きに迅速に判断する役割があるため、国会議員が務めるべきだとも説明しています。

落選後も埼玉東部での活動は続けており、八潮駅前で街頭に立つ様子も公式Xで発信していました。

 

石井啓一の経歴|東大工学部から旧建設省、国政へ

石井氏は1958年3月20日、東京都豊島区生まれ。私立早稲田中学校・早稲田高校を経て、東京大学工学部土木工学科へ進学しました。

本人公式サイトの生い立ちによると、最初の大学受験では受験した大学すべてが不合格となり、一浪後に東京大学へ入学しています。大学3年生の時には父親が病気で倒れ、家業の仕立て店も閉じたため、アルバイトをしながら家計を支えたと紹介されています。

年主な経歴
1958年東京都豊島区に生まれる
1981年東京大学工学部卒業、建設省へ入省
1993年旧東京5区から衆議院議員に初当選
2003~2005年財務副大臣を務める
2015年国土交通大臣に就任
2019年国土交通大臣を退任
2020年公明党幹事長に就任
2024年公明党代表に就任
2026年国政復帰、第70代衆議院副議長に就任

建設省では道路・橋などを担当

東京大学卒業後の1981年に旧建設省へ入省し、約12年間勤務しました。道路や橋などの分野を担当し、最終的には道路局課長補佐まで務めています。

1993年に退官して第40回衆議院議員総選挙へ立候補。旧東京5区から初当選し、その後は党政務調査会長、幹事長、代表、財務副大臣、国土交通大臣などを歴任しました。生い立ちや経歴の詳細は石井啓一公式サイト「生い立ち」にも掲載されています。

石井啓一は医師ではない

石井啓一氏は医師ではありません。東京大学で学んだのは医学部ではなく工学部土木工学科で、卒業後の職歴も旧建設省の技術系官僚です。

衆議院公式プロフィールにも「東京大学工学部卒業」「建設省道路局課長補佐で退職」と明記されています。同姓・同名に近い人物や、医師出身の別の公明党議員などとの混同には注意が必要です。

石井啓一がやったことは?国土交通大臣時代と主な仕事

石井氏は2015年10月から2019年9月まで、約3年11カ月にわたり国土交通大臣を務めました。旧建設省出身という経歴とも重なる分野です。

就任会見では、国土交通行政で重点的に取り組むテーマとして、災害対策と老朽インフラ対策を挙げました。

「防災・減災対策、インフラ老朽化対策をしっかりと取り組んでいきたい」

出典:国土交通省・石井大臣就任会見

同じ会見では、巨大災害に対してハード整備だけですべてを防ぐことは難しいとして、堤防などのハード対策と、避難・ハザードマップなどのソフト対策を組み合わせる考えも示しています。

石井氏の公式サイトが挙げる主な仕事
  • 国交相:東埼玉道路の八潮―松伏間の高速道路事業化、外環道・三郷流山橋などの整備促進
  • 防災:堤防整備やハザードマップ作成など、ハード・ソフト両面の対策
  • 党政調会長:児童手当、年金受給資格期間の短縮、低年金者対策などの協議に関与
  • 党幹事長など:新型コロナ対策、電気・ガス・燃油代の負担軽減策、政治資金規正法改正などに関与

これらは本人公式サイトの「実績」が石井氏の主な仕事として紹介している内容です。制度や公共事業は国会・政府・自治体・与野党など多数の関係者によって進められるため、石井氏については大臣や党政策責任者としてどの分野に関与したのかを見ると経歴がつかみやすくなります。

石井啓一の政策・政治姿勢

石井氏が自身の政治信条として繰り返し掲げているのが「現場第一主義」です。公式サイトでは、建設省勤務時代のトンネル事業や、国土交通大臣として災害現場を訪れた経験を挙げています。

「現場を歩けば、真実が見えてきます。」

出典:石井啓一公式サイト

2024年衆院選で示した主な立場

政策に対する具体的な考え方は、2024年衆院選時の日本テレビ・JX通信社による候補者アンケートでも示されています。当時の回答なので現在の公明党の党方針と完全に同一とは限りませんが、石井氏本人の立場を確認できる資料です。

  • 選択的夫婦別姓:賛成
  • 同性婚を法律に明記:賛成
  • 男性の育児休業取得を雇用主に義務付け:賛成
  • 外国人労働者の受け入れ:「今より積極的に受け入れるべき」に近い
  • 自衛隊の存在を憲法に明記:やや賛成
  • 防衛力のさらなる強化:やや賛成
  • 核シェアリング:反対
  • 生成AI:規制を最小限にする方向に近い

回答全体はzero選挙2024・石井啓一候補者アンケートで公開されています。

2026年には「生活者ファースト」を掲げた

2026年1月に中道改革連合へ参加した際は、「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」を理念として説明し、賃上げ、社会保障、教育・医療・介護、包摂社会、外交・安全保障、政治改革などを掲げました。

「『生活者ファースト』の政策を着実に進めてまいります。」

出典:石井啓一公式サイト・中道改革連合参加時の表明

これは2026年1月の中道改革連合参加時に掲げた政策です。石井氏はその後2026年9月に公明党へ復党しているため、中道改革連合の綱領をそのまま現在の所属政党の政策として扱うことはできません。

石井啓一の家族|妻・長男・父親について

石井氏の公式プロフィールでは、現在の家族について「妻と長男の3人家族」と公表しています。埼玉県草加市在住です。

家族について公表されていること
  • 配偶者:妻
  • 子供:長男1人
  • 父親:紳士服の仕立て職人
  • 母親:本人公式サイトの生い立ちに登場
  • きょうだい:妹が2人

妻や長男について、本人の公式プロフィールでは氏名や職業などの詳しい個人情報は掲載していません。家族構成以上の情報を推測で補うのは避ける必要があります。

父親は紳士服の仕立て職人

石井氏の父親は紳士服の仕立て職人でした。本人公式サイトでは、父親が一針ずつ丹念に仕事をする姿を見て育ったと紹介しています。

大学3年生の時に父親が病気で倒れ、仕立て店を閉じることになりました。家計が厳しくなり、長男だった石井氏がアルバイトをしながら家族を支えた時期があったとされています。

若い頃や人物像|地図好きで趣味は街歩き

政治経歴とは別に、石井氏のプロフィールで目立つのが地理や地図への関心です。中学・高校時代には地理系の同好会に入り、地図を使って目的地を目指すオリエンテーリングにも取り組んでいました。

現在の趣味としても「街歩き(地図が大好き)」と「読書」を挙げています。好きな本は『ローマ人の物語』『氷川清話』、好きな食べ物は餃子、好きな色はブルー。モットーは「人に温かく、己に厳しく」としています。

官僚時代には道路や橋を担当し、政治家になってからも国土交通行政に長く関わっているため、土木工学と地理への関心が職歴にもつながっています。

副議長として現在は何をしている?議会運営と議員外交

衆議院副議長に就任してからは、通常の党役職とは異なり、本会議の議事進行や衆議院を代表する活動、議会外交にも携わっています。

2026年8月には副議長としてメキシコとアルゼンチンを親善訪問しました。出発時には、両国の議会関係者や日系人、日系企業との意見交換を行う目的を公式Xで説明しています。

メキシコでは議会・日系社会・日本企業と意見交換

メキシコでは日墨協会や日本メキシコ商工会議所の関係者と会い、下院議長や友好議員連盟とも意見交換しました。日本企業のビジネス環境や、議会・地方自治体間の交流についても話し合ったと発信しています。

アルゼンチンでも下院議長らと会談

アルゼンチンでは日本庭園や日本語教育を行う学校を訪問したほか、外相、下院議長、友好議員連盟などと会談。日本とアルゼンチンの議会間交流や経済関係について意見を交わしています。

2024年の落選時には国会議員の立場を失いましたが、2026年の国政復帰後は衆議院副議長として国会運営と議会外交を担う立場になりました。2026年9月には公明党への復党も正式に承認されており、これが記事作成時点での石井啓一氏の現在地です。

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