額賀福志郎の息子・家系図・後継者は?妻・娘と現在の活動、経歴を解説

額賀福志郎

額賀福志郎(ぬかが ふくしろう)氏は、新聞記者・茨城県議を経て1983年に国政入りし、防衛庁長官、財務大臣、自民党政務調査会長などを歴任した政治家です。2023年から2026年1月までは第79・80代衆議院議長を務めました。

2026年2月の衆議院選挙では茨城2区から当選し、通算15回目の当選となりました。この記事では、家族や後継者をめぐる情報から、現在の立場、経歴、政策、派閥、議長時代、過去に議論となった出来事まで整理します。

※記事内の「現在」は2026年9月26日時点です。

額賀福志郎氏を簡単に見ると
  • 自民党所属の衆議院議員で、選挙区は茨城2区
  • 2026年2月の衆院選で15回目の当選
  • 第79代・第80代衆議院議長を歴任
  • 防衛庁長官、財務大臣、自民党政調会長などを経験
  • 本人公式プロフィール上の家族構成は妻、娘3人
  • 2009年から2018年まで平成研究会会長を務め、当時は「額賀派」と呼ばれた
名前額賀福志郎(ぬかが ふくしろう)
生年月日1944年1月11日
年齢82歳(2026年9月現在)
出身茨城県行方郡麻生町小高(現在の行方市)
所属政党自由民主党
議員衆議院議員
選挙区茨城2区
当選回数15回
前職産経新聞記者、茨城県議会議員
主な役職歴衆議院議長、防衛庁長官、財務大臣、自民党政務調査会長など
家族構成妻、娘3人
公式サイト額賀福志郎公式サイト
公式X@2946nukaga

プロフィールの基本情報は、本人公式プロフィール、衆議院の議員情報、自由民主党公式プロフィールに基づいています。

目次

額賀福志郎の息子・妻・娘は?家系図と後継者を整理

額賀氏の家族について、本人が公式プロフィールで公表しているのは「妻、娘3人」です。

公式プロフィールの家族構成には「息子」の記載はありません。したがって、出典のない情報をもとに息子の氏名や職業などを断定することはできません。

公表情報で分かる家族構成
本人額賀福志郎氏
妻あり。氏名などの詳細は本人公式プロフィールでは記載なし
娘3人
息子本人公式プロフィールには記載なし
父母氏名・職業などの詳細は本人公式プロフィールでは記載なし

家系図として公表できる範囲は妻と娘3人まで

家系図にすると、一次情報で示せる範囲は額賀氏―妻―娘3人という家族構成までです。娘の氏名や職業、結婚先など、本人や公的機関が明らかにしていない情報を家系図へ付け加えるのは避ける必要があります。

出身地については、本人プロフィールに茨城県行方郡麻生町小高、現在の行方市小高とあります。一方、実家の所在地や家業などの詳しい情報は掲載されていません。

「後継者」はまだ公式発表されていない

2026年9月時点で、本人公式サイトや自民党の現行プロフィールに、額賀氏の選挙区を継ぐ特定の後継候補を正式発表した記載はありません。むしろ額賀氏本人が2026年2月の衆院選に出馬し、15回目の当選を果たしています。

額賀氏自身にも「後継者」と呼ばれた時代があります。1983年の初当選時、茨城を地盤としていた元運輸大臣・橋本登美三郎氏の政治的な後継者として国政に進みました。これは親子関係ではなく、政治上の後継関係です。

 

額賀福志郎は現在何をしている?衆議院議長は2026年に退任

2026年9月現在、額賀氏は自民党所属の衆議院議員として茨城2区を代表しています。

現在の衆議院議長ではありません。第80代衆議院議長としての任期は衆議院が解散された2026年1月23日までで、2月18日に開かれた特別国会で森英介氏が第81代衆議院議長に選出されました。

解散当日の様子についても、本人の公式Xに投稿が残っています。

議長退任後に開かれた第221回特別国会について、額賀氏は地元活動へ軸足を戻す考えを公式サイトで記しています。

「郷土”いばらき”のためにしっかりと汗をかいていきたいと思います。」

出典:額賀福志郎公式サイト・第221回特別国会が召集

2026年は医療・農業・治水・議員外交などで活動

本人公式サイトの活動報告では、議長退任後も地元自治体や各種団体からの政策要望を受けています。2026年夏には、鹿行地域の医療提供体制、利根川河口部の洪水・津波・高潮対策、土地改良事業、米の需給や生産者経営などを扱いました。

  • 鹿行医療圏の中核病院をめぐる要望
  • 利根川河口部の治水・津波・高潮対策
  • 土地改良事業の予算や農家負担
  • 米の需給安定と生産者経営
  • 日本・フィジー友好議員連盟などを通じた議員外交

2026年5月には、茨城県潮来市と千葉県香取市の観光行事に関連する活動もXで紹介しています。

額賀福志郎の事務所はどこ?

本人公式サイトでは、茨城県内の事務所と東京の国会事務所を案内しています。

麻生事務所茨城県行方市麻生3287-32
茨城町事務所茨城県東茨城郡茨城町小鶴112-1
国会事務所衆議院第二議員会館824号室

連絡先などの最新情報は本人公式サイトで確認できます。

 

2026年衆院選で15回目の当選|選挙区は茨城2区

額賀氏は2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙に茨城2区から出馬し、7万4491票を獲得して当選しました。これで衆議院議員として15回目の当選です。

2026年衆院選の額賀福志郎氏
投票日2026年2月8日
選挙区茨城2区
所属自由民主党
得票74,491票
結果当選
通算当選回数15回

出典:茨城県・第51回衆議院議員総選挙、額賀福志郎公式サイト・当選御礼

茨城2区は、鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市、小美玉市、茨城町、大洗町から構成されています。選挙区の区域は茨城県選挙管理委員会の候補者情報でも確認できます。

選挙戦が始まった日の出陣式についても本人Xで発信しています。

「自由民主党・無所属の会」でも額賀氏自身は自民党

衆議院の議員情報では、会派名が「自由民主党・無所属の会」と表示されています。この「無所属」は会派の名称に含まれるものであり、額賀氏本人が無所属という意味ではありません。

額賀氏の所属政党は自由民主党です。自民党公式サイトでも茨城2区選出の自民党衆議院議員として掲載されています。

額賀福志郎の経歴・学歴・前職|新聞記者から県議、国政へ

額賀氏は1944年、現在の茨城県行方市にあたる麻生町で生まれました。佼成学園高校を卒業後、早稲田大学政治経済学部へ進学し、1968年に卒業しています。

大学卒業後は産経新聞社に入り、経済部・政治部の記者として勤務しました。国会議員になる前から政治の世界だけを歩んできたわけではなく、新聞記者が最初の職業です。

1963年佼成学園高校卒業、早稲田大学政治経済学部へ
1968年早稲田大学卒業、産経新聞社に入社
1978年茨城県議会議員に初当選
1982年茨城県議会議員に再選
1983年衆議院議員に初当選
1997年内閣官房副長官
1998年防衛庁長官
2000年経済企画庁長官
2001年経済財政政策担当大臣
2003年自民党政務調査会長
2005年防衛庁長官に再就任
2007年財務大臣

詳しい役職歴は本人公式プロフィールにまとめられています。

政治の師は橋本登美三郎

1983年の国政進出では、茨城を地盤とした橋本登美三郎元運輸大臣の政治的な後継者となりました。額賀氏自身も橋本氏を「政治の師」と位置づけています。

「私は、1983年に橋本先生の後継者として国会に送っていただいた」

出典:額賀福志郎公式サイト・橋本登美三郎大居士三十三回忌法要

2021年の公式Xでも、橋本氏について本人の言葉で振り返っています。

額賀福志郎は何をしてきた?現在の政策と主な仕事

2026年の衆院選で額賀氏が掲げた政策は、地元の交通網だけでなく、人材育成、農水産業、医療などにも及んでいます。本人の2026年選挙ページでは、主に次のテーマを示しました。

2026年に掲げた主な政策テーマ
  • 未来をつくる人材育成
  • 稼げる農水産業の育成
  • 安心できる医療体制の構築
  • 東関東自動車道の延伸
  • 茨城空港の国際化

選挙前の政策発表についても、本人Xで発信しています。

東関道延伸は長年取り組んできた地元課題

額賀氏が長く訴えてきた政策の一つが、東関東自動車道の延伸です。2026年の当選後にも、今後取り組むテーマとして次の言葉を掲げています。

「東関道の鹿嶋・波崎への延伸と茨城空港の国際化」

出典:額賀福志郎公式サイト・当選御礼

東関道の鉾田―潮来間は、国やNEXCO東日本、自治体などが進める道路事業です。額賀氏個人だけの事業ではありませんが、本人は地元選出議員として長年延伸を要望してきました。

「これまでずっと重い課題として私の両肩にのしかかっていました。」

出典:額賀福志郎公式サイト

事業そのものの進捗は、NEXCO東日本の開通予定や国土交通省常総国道事務所が公表しています。

防衛・財政・復興・情報監視にも関与

国政では地元インフラだけでなく、防衛や財政の役職を長く経験しました。防衛庁長官を2度務め、2007年には財務大臣に就任しています。

  • 1998年、2005年:防衛庁長官
  • 2000年:経済企画庁長官
  • 2001年:経済財政政策担当大臣
  • 2003年:自民党政務調査会長
  • 2007年:財務大臣
  • 2015年:衆議院情報監視審査会の初代会長
  • 東日本大震災の復興加速化に関する党組織でも活動
  • 2021年以降、自民党の財政健全化に関する党内組織を担当

額賀福志郎の派閥は?「額賀派」は2009年から2018年

額賀氏は自民党内で、旧田中派の流れをくむ平成研究会に所属し、2009年に会長へ就任しました。会長の名前を取って、この時期の平成研究会は一般に「額賀派」と呼ばれていました。

2018年3月、額賀氏は会長を退き、竹下亘氏へ会長職を引き継ぎました。テレビ朝日の当時の報道では、額賀氏は名誉会長となっています。

「額賀派」は現在の派閥名ではない

2009年~2018年の平成研究会が「額賀派」と呼ばれたのであり、現在も「額賀派」という自民党派閥が存在するという意味ではありません。2018年の会長交代後は「竹下派」と呼ばれるようになりました。

出典:額賀福志郎公式プロフィール、テレビ朝日・平成研究会会長交代の報道

第79・80代衆議院議長|天皇陛下をめぐる式典で謝罪したことも

額賀氏は2023年10月20日、第212回国会の衆議院本会議で第79代衆議院議長に選出されました。就任時には衆議院の運営について次のように述べています。

「議院の公正円満な運営に全力を傾注してまいりたいと思います。」

出典:衆議院会議録・第212回国会本会議

2024年の衆院選後には第80代議長として再び選出され、2026年1月の衆議院解散まで議長を務めました。

議長として議員外交も担当

議長は国会運営だけでなく、外国の首脳や議会関係者との交流も担います。額賀氏は2024年8月にインドを訪問し、日印間の人的交流拡大を提案しました。2025年8月にモディ首相が来日した際の会談について、衆議院はこの提案が両国政府による人的交流拡大の検討につながった経緯を紹介しています。

詳細は衆議院・モディ・インド首相との会談記録に掲載されています。

2023年の開会式では天皇陛下への手順を誤り謝罪

議長就任直後の2023年10月20日、国会開会式で式辞を読み終えた後、額賀氏が本来の手順とは異なり天皇陛下の前へ進み、式辞を手渡そうとする場面がありました。

額賀氏はその後、手順上のミスだったと認め、次のように説明しています。

「初めて経験し、緊張した結果であり、しっかりと反省をして」

出典:テレビ朝日・額賀衆議院議長の会見報道

この出来事は議長としての式典上の手順をめぐる問題で、報道でも本人の謝罪と説明が伝えられました。

議長退任後の2026年3月には、衆議院本会議で皇室会議予備議員および皇室経済会議予備議員に選ばれています。選任記録は第221回国会衆議院本会議録に残っています。

過去の不祥事・批判は?防衛庁問題とKSD問題を整理

額賀氏の長い政治経歴では、閣僚辞任に至った出来事もありました。本人の政策や役職歴とは分けて、国会記録に残る主な事例を整理します。

1998年の防衛庁調達をめぐる不祥事で長官を辞任

1998年、防衛庁の調達をめぐる背任事件など一連の不祥事が問題となり、防衛庁長官だった額賀氏に対する問責決議が参議院で可決されました。

参議院の問責決議では、庁内の問題に対する管理・監督責任などが問われています。額賀氏はその後、防衛庁長官を辞任しました。

後年の衆議院の国会審議記録でも、額賀氏個人の犯罪行為ではなく、防衛庁内部の問題に対して長官として責任を取った事例として言及されています。

2001年にはKSDからの資金提供問題で閣僚を辞任

2001年には、ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)をめぐる政界汚職事件の広がりの中で、額賀氏側への資金提供が問題となりました。額賀氏は経済財政政策担当大臣を辞任し、衆議院政治倫理審査会で弁明しています。

政治倫理審査会での扱いは衆議院・第151回国会の政治倫理審査会記録、当時の国会全体の経緯は衆議院の国会概観に残っています。

「パチンコ」と特別な関係があるという公的経歴は見当たらない

額賀氏について「パチンコ」と結び付ける情報もインターネット上にありますが、本人公式プロフィール、衆議院の議員情報、自民党の現行プロフィールには、パチンコ・遊技業界団体の役職を務めているとの記載はありません。

公表経歴から言える範囲

公式プロフィールに記載がないことだけで、あらゆる接点が存在しないと証明できるわけではありません。ただ、出典が示されていない「パチンコ業界と特別な関係がある」といった情報を事実として断定できる一次資料は確認できません。

額賀福志郎の人物像|趣味・座右の銘・Xで見える一面

本人公式プロフィールでは、趣味として読書とウォーキングを挙げています。読書ではチャーチルの『第二次世界大戦』や歴史小説を好むとしています。

座右の銘として掲げているのは「福志大道」です。本人は「国民の幸福を求めて真ん中の道を堂々と歩むこと」という意味で説明しています。

長い政治経歴を持つ額賀氏ですが、公式Xでは比較的くだけた発信もあります。2026年1月にXでの発信を再開した際には、「Twitter」ではなく「X」と呼ぶよう秘書から指摘されたというやり取りを投稿しました。

選挙前には、地元の高齢者福祉施設を訪れた様子も発信しています。

2026年は衆議院議長という立場を離れ、15期目の衆議院議員として活動を続けています。本人公式サイトでは、地元の医療、農林水産業、道路・治水などの要望活動が継続して公開されています。

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